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奮起湖車庫は何回引っ越したでしょうか。1927年に発行された林久三の『阿里山新高山景色寫真帖』に収められた写真を見ると、奮起湖車庫は線路の南西側にあり、屋根には越屋根(こしやね)や煙突が付いていました。ところが、1931年6月の連続豪雨による土砂崩れで、車庫が埋まってしまったため、駅の北側に再建されたのです。1934年(昭和9年)に発行された『梨本宮守正王殿下臺灣御成寫真帳』には、再建された奮起湖車庫の写真が収められています。この車庫は今わたしたちがいる場所に立っており、当時はまだ越屋根が付いていました。越屋根とは屋根の上にある換気窓のことで、熱や湿気を逃がしたり、光を取り入れたりする機能がありました。なお、台湾では「太子楼」と呼ばれていますが、これは日本の皇太子の帽子に似ているためだと言われています。その後も車庫はたびたび台風などの天災に見舞われ、改修を重ねたため、今の車庫には越屋根は残っていません。